ちょっと前の話
6月19日政府の会見で「県をまたいでの観光を全面解禁」を宣言したということもあり、第二波が来る前に出張しておりました。
本当は例のGotoを使いたかったのですが、嫌な予感はしていたので7月始めに行ってました(案の定問題になってるけど)
時間はある、夏祭りはなくなる、多数の人と集まれない、貯金はどんどん減っていく
竹:「もし人生の幸せ不幸がプラスマイナスゼロなら来年すごく幸せになっちゃう」
なんて強制的に考えつつ、この荒波を越えるべく取捨選択することが出来ないと
今年の秋に失敗したら本当にお店を畳まないといけないので、色々陰ながら動いております。
人によって危機意識や考え状況が違う中でも判断しないとなので難しいですがね。
宮崎に行ってました。
前年も台風が影響で行けなかったのですが、
今回のリベンジも、ちょうど九州の豪雨終わりに行ったので波が荒れまくりフェリーも揺れに揺れながらの移動で
フェリーもフェリーで心配になるほどに人が乗車しておらず、トラックの運ちゃんばかりでした。
本気で全員に飛行機代を出してあげた方が安く収まるのでは?と思ってしまう程ガラガラでした。
竹:「ダメだ…夜めっちゃ揺れてたから、三半規管完全に麻痺してる…」
ミッシちゃん、ちょっとポケモンのパラス感あるな。と思いながらも上陸。
到着しても、波に揺られてる感覚がありフラフラしながらも目的地に向かいます。
やきいも自動販売機
出張のメインは宮崎県民には少しずつ浸透してきている「やきいもの販売機」を見ること食べることで
延岡市に行ってこのプロジェクトの初期メンバーの人に話を聞いたりしてたのですが
今回は「大学生時代、大して仲が良くなかった軽音楽部のアイツの話」ということなので、その話で進めましょう。
幻のバンドマン時代
高校まで運動部をしていると文化祭のステージで音楽やってるヤツがカッコ良くみえるもんです。
そう…誰も興味ないかもしれませんが、竹村は大学生の時にそんなキラキラした人たちに感化されて軽音楽部に入っていたのです。
軽音楽部は1年だけでも50人以上いた気がします。
1年生の4月に入部し、5月に新歓をしたときにチャラい人がウェイウェイしてる所を眺めながら、
その時に初心者だった奴らとバンドを組み
その次の月にある新人バンドお披露目会の2日前
山口県出身のバンドリーダーが単独で解散宣言をしたことで居場所をなくし、
自分自身も幽霊部員になったという、皆さんも1度は経験したであろう展開。
そうだ。思い出した、フォークソング愛好会ってサークル名だった気がする。
ちょうど自分が大学生1年生のときはLINEが普及しておらず、
メールアドレスでやり取りをしていた時代で「とりあえず連絡先だけ聞いておいた人」も沢山いておりました。
そして2年生になるとFBが一気にブームになったこともあり、
当時友達承認した人がまだ友達として残っております。
特に大学時代のお友達の9割以上は投稿をすることなく基本は疎遠になってるのですが…
来たんですよね。メッセージが。
卒業後にいきなり来た連絡
2016年、突然連絡が来たんです。浜根君ってヤツから。
別に嫌いでも特段好きでもない、いわゆる無関心に括られる関係の男子。
お互い大学であった時に世間話するくらいの間柄で、学部も違ったので授業も一緒に受けたこともないヤツからの連絡…
これは…
竹:「このパターン、network marketingか!!!!」
※ネイティブ発音
今まで小学生以来連絡きたクラスメイトから久々に連絡があったときも
ウキウキ気分で会ったら実際にはマルチの勧誘ということが何度もありました。
もう絶望しない。人を信じるから裏切られる。逆に言えば信じなければ裏切られることもないのです。
実際会ってみると
完全警戒疑心暗鬼モードでで会ったのですが
浜根:「実は和歌山県の銀行辞めて、宮崎県でBARするねん」
浜根くんはこれから開業するねんって話をしながら、何も勧誘することなく焼き芋を買ってくれました。
ちょうどオープンしたての堀川北大路のセブンイレブンの駐車場に停めて雑談した気がします。
竹村:「なんかごめん、色々な大人に騙されてコッチまでおかしくなってたわ…」
浜根:「ええんやで」
勧誘ではなく前々からSNSで投稿を見てくれていたらしく、京都に来た際に連絡をくれたのです。
彼はそう言って和歌山から巣立ち、本当にBARをスタートそうです。
(回想終了)
そこから、4年後…
竹:「着いたぜ」
竹:「宮崎市の繁華街ってお店多いの知らなかった。」
繁華街を歩き…。
美味しそうな地鶏のお店をかき分けながら歩き…
竹:「なんか行き別れの親族と再会する気分になってきた…」
到着。
本物!!!!!!!
浜根:「久しぶりやな」
竹村:「どもども」
本当に1人でBARを開業してました。
誰も知り合いがいない状態で移住し、近くのBARで少し修行ながら物件を探したそうです、
写真は後日開店直後に撮ったものですが、21時くらいになると常連さんも来て満席状態になってました。
浜根:「カレー食べる?」
竹村:「グーグルマップで絶賛されてたカレーね。食べる。」
この日はサバカレーでした。
常連さんの中では割と認知されている味だそうで、ちょうどお腹減ってたこともあり5分くらいで食べちゃいました。
(BARなのでお酒メインですが)
竹村:「こんな旨いカレー作れたのね!!」
浜根くん:「実は大学生の頃からスパイスカレーを作るのが趣味やってん」
竹村:「知らなかった!(そりゃ幽霊部員やったしな)」
浜根くん:「自分も早々に軽音楽部は辞めて、他大学の子をバンド組んでたからね!」
今も音楽は続けているらしく、稀にyoutubeに弾き語り動画も投稿しているようです。
竹村:「(カレーも作れて弾き語りも出来る…そりゃ自分の婚期も遅れる訳だわ)」
このタイミングで行ったのには理由がある
本当はもっと安心できるときに行きたかったのですが、実は浜根くんのBAR8月末で終了するんですよ。
今行かないと一生お店立ってる所見れなかった訳です。
竹村:「個人経営やんね?このお店どうなるん?」
浜根:「今ちょうど継承者を募ってるねん」
宮崎県って物価が低いので開業するにはハードルが低い土地柄らしく、
3年間ほど経営の実践勉強も兼ねてBARをしてたそう。
ある種、宮崎県の県民性「優しく、のんびりしてる人が多い」という面を一旦宮崎で開業して慣れてきた所で、
福岡とかに場所を変える人もチョイチョイいるそう。
竹村:「やっぱコロナ影響したから?」
浜根:「いや、実はジョージアに移住するねん」
お客さんが来てない空き時間にWEBの勉強もしてたので、
もうパソコンあれば仕事できるレベルになってるらしく物価が低い所で仕事をしながら、
日本の仕事を受けながら生活する作戦に切り替えるとのことでした。
更に話を聞いてると「宮崎は常連さんで基本構成されることが多い」ので
コロナ禍でも黒字状態でずっと継続できてる店舗になってるので、
実は結構もったいないお店でもあるらしい。
竹:「もったいないな!!」
浜根:「そうやねん、いい形でお店閉店したいんやけどね」
「キレイな閉店」をする為のクラウドファンディング(残り数日!!)
普通の店舗の閉店時はどうしても店長さんが憔悴気味ですが
次のチャレンジのためにキレイに閉店作業をする所は、立つ鳥跡を濁さずといった所。
常連さんを何人か見ていると、
近所で働いてるお兄さんが出勤時間前にサラッと飲んでいなくなったり
隣のお客さんとも知り合いだから、別に集合してるわけでもないのに浜根くんと一緒に話してたり
なんかこの場所がなくなるのは勿体ない気もしました(なんせ売上は上がるし黒字だし)
竹:「なんか勿体ないよね、せっかく愛されてるお店なんとか残すこと出来ないかな」
浜根:「なら事業継承する?」
最近できた事業継承のサイトに登録してるらしく
※本当に浜根くんのお店、継承できます
竹:「いや。それはやめとく。」
マルチ商法でもなく情報商材でもなく危うくBARを継承することになりかけたひと時でしたが、
今まで仲が良くなかった人でも
こうやって喋ることで「クソッ!もっと喋っておいたらよかった!!」という良いヤツも世の中には沢山いる訳で
その時、そのタイミングで偶然縁がなかっただけで、
またお互い生きてて「喋ろうぜ!」と連絡したら案外意気投合できることもあるし
そっから仲良くなれることもあることもあるのかな?
と思ったひとときでした。
いい継承者みつかるといいですね。
そして浜根くん。新天地でもがんばって!!
竹:「さて、チキン南蛮でも食いにいきますか…」
ほなほな
「さぁ!竹村のあしたはどっちだ⁉︎」
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